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富嶽三十六景

🗻冨嶽三十六景・相州七里浜

《相州七里浜》は、相模国(現在の神奈川県鎌倉市から藤沢市付近)にある海岸「七里ヶ浜(しちりがはま)」(現在の鎌倉市稲村ヶ崎)を舞台にした作品です。七里ヶ浜は、古くから“江ノ島を望む絶景の浜”として知られ、現在でも人気の高い観光地です。北斎はこの場所で、波・舟・富士という三つのモチーフを用い、動と静が交錯する風景を一枚の中に凝縮しました。
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🗻冨嶽三十六景・武州玉川

《武州玉川》は、現在の東京都と神奈川県の境を流れる多摩川(玉川)を題材にした一図です。「武州」とは武蔵国(むさしのくに)を指し、江戸を含む広域にまたがる地名です。北斎はここで、流れる水と遠くにそびえる富士という、日本的風景の原型ともいえる対比を描き出しています。水と空、富士と人の営み、それぞれが独立しつつも、静かな調和の中に共存する──そんな北斎の考える「間」の美学が結晶した一枚です。地理的には高台であり、西に遠く富士山を望む眺望の良さでも知られていました。
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🗻冨嶽三十六景・東都駿台

《東都駿台》は、現在の東京都千代田区駿河台付近から富士山を望む構図で描かれた一枚です。この一帯は、江戸時代に「駿河台」と呼ばれ、駿河国出身の与力や同心(駿河城在番衆)が拝領した土地に由来してその名が付けられたとされます。地理的には高台であり、西に遠く富士山を望む眺望の良さでも知られていました。
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🗻冨嶽三十六景・青山円座松

《青山円座松》は、江戸の郊外――原宿村の龍巌寺境内にあった名木です。この場所には、江戸時代の庶民や旅人が富士山を眺めるために訪れ、憩い、語り合う空間が広がっていました。北斎はこの絵で、富士を“見る”という文化そのものを描いています。(上の挿入画は、北斎のものではありません。)
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🗻冨嶽三十六景・武州千住

「武州千住」は、《冨嶽三十六景》の中でも、最も“構造物”の存在感が強く出た一図です。描かれているのは、江戸時代の水運と治水に関わる重要地点・千住。そしてその中央にそびえるのは、完成を待つ橋脚――ではなく、川の流れを制御するための「水門施設(樋門)」であると考えられています。
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🗻冨嶽三十六景・甲州犬目峠

「甲州犬目峠」は、《冨嶽三十六景》の中でも特に“静けさ”が際立つ作品です。人物の動きは穏やかで、自然の中に溶け込むように描かれている。一見すると控えめな絵ですが、実は視線の操作や空間の重ね方が非常に緻密で、北斎が「高所からの視線」と「心の奥にある風景」を重ねて描いた構図的名作です。
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🗻冨嶽三十六景・尾州不二見原

《冨嶽三十六景》の中でも、視覚的仕掛けを持つのが「尾州不二見原」です。画面の手前には、巨大な桶の輪。その向こうに小さく覗く富士山。この作品は、見え方・見せ方・視点の遊びに満ちており、北斎の構図的ユーモアと、絵を“観察”ではなく“構成”として捉える姿勢が色濃くあらわれています。
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🗻冨嶽三十六景・深川万年橋下

「深川万年橋下」は、《冨嶽三十六景》の中でも最もユニークな視点を持つ一枚です。富士山が画面の主役に見えない――いや、そもそも画面の奥に小さく描かれているだけ。にもかかわらず、構図全体が富士に向かって視線を集めていることに気づいたとき、この作品の静かな凄みに圧倒されるのです。
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🗻冨嶽三十六景・山下白雨

《冨嶽三十六景》の中でも、異様なまでに“黒”が際立つ作品が、この「山下白雨(さんかはくう)」です。別名「黒富士」として知られ、見る者に強烈な印象を与えるこの一図。そこには風景画というより、心理的な風景ともいえる構成が仕掛けられています。
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🗻冨嶽三十六景・凱風快晴

「凱風快晴(がいふうかいせい)」――いわゆる「赤富士」として知られるこの一枚は、《冨嶽三十六景》の中でも最も抽象度が高く、静寂と崇高さを宿す“象徴としての富士”が表現された作品です。