正直に言うと、「昭和は良かったか?」というのは、人による、何を良しとするかによる、というのが答えになります。
(追記修正)“昭和”という時代は、昭和1年から64年までを大体3分割すると、最初の1/3の約20年は、戦争に明け暮れ、真ん中の1/3の約20年は、敗戦後の復興に国力のほぼすべてを注ぎ、最後の1/3の約20年は、バブルという幻を目指し盲目的に全力疾走した時代なのではないかと思います。以下の内容は、最後の1/3のこと、もう少し広い範囲で見ても真ん中の1/3の途中以降についての記述です。ご承知おきください。
よく聞く「昭和は良かった」という声の中には、例えばこういう理由があります
✅ 経済成長が著しかった(高度経済成長・バブル期)
✅ みんな一緒に頑張る空気感、連帯感があった
✅ 家族や地域のつながりが今より濃かった
✅ 技術や文化が急速に進歩し、未来に希望があった
✅ 子供の頃の思い出(昔はよかった、という郷愁)
一方で、
❌ ブラックな労働環境が多かった
❌ 男女差別や社会的な制約が強かった
❌ ハラスメントや暴力が「当たり前」で見過ごされやすかった
❌ 環境汚染、公害問題が深刻だった
❌ 情報が限られ、閉鎖的な部分があった
つまり、キラキラした部分と、見逃せない暗い影の部分が両方あるんです。
❌❌❌見逃せない暗い影の部分について
❌ ブラックな労働環境が多かった → なぜ?
- 背景:戦後復興と高度経済成長
戦争で焼け野原、物資も産業もゼロからのスタート。
→ とにかく「頑張らないと生き残れない」という生存モード。 - 価値観:会社=家族、終身雇用・年功序列
会社に尽くせば一生面倒を見てもらえる(住宅、手当、退職金など)。
→ プライベートを犠牲にするのが当然という価値観。 - 労働法や労働者の権利意識が弱かった
労基法はあったけど浸透せず、違反が見逃されがち。 - 社会全体が成長志向で突っ走っていた
「会社はつらいのが当たり前。むしろそこで鍛えられる」と美化されがち。
❌ 男女差別や社会的な制約が強かった → なぜ?
- 戦前・戦中から続く家父長制の価値観
男は外で働き、女は家を守る。それが「自然」だと信じられていた。 - 法整備・制度が未成熟だった
男女雇用機会均等法ができたのは1985年。
それまでは求人広告に「女性は25歳まで」と書くのも普通。 - 教育・就労の格差が制度的に存在した
女子に高等教育が不要とされ、働く場も限られていた。
❌ ハラスメントや暴力が「当たり前」で見過ごされやすかった → なぜ?
- 上下関係・年功序列が絶対だった
上司や年長者の言うことは絶対。疑問を持つ=生意気。 - 暴力や精神的圧力が「指導」と認識されていた
根性論が強く、「叩かれて一人前」という思考。 - 法やルールが未整備、相談窓口も少ない
ハラスメントという概念がそもそもなかった。
❌ 環境汚染、公害問題が深刻だった → なぜ?
- 経済成長が最優先された
工場の煙、排水、廃棄物は「成長の証」とまで言われた。 - 規制がなかった/緩かった
公害防止法が整備されるのは大きな被害が表面化した後。 - 被害が表に出にくかった
情報が隠され、被害者が泣き寝入りさせられることも多かった。
❌ 情報が限られ、閉鎖的な部分があった → なぜ?
- メディアの数が限られていた
テレビ、新聞、ラジオが情報源。しかも大手の統制が効きやすかった。 - 地域社会の力が強く、外からの情報が入りにくい
「よそ者」「余計なことを言うな」という圧力。 - インターネットが存在しない
個人が自由に発信・調査する手段がなかった。
まとめると、
当時は 「個人の自由・権利」よりも「集団・成長・秩序」が優先されていた 社会。
そして、問題があっても 可視化されず、声が届かず、ルールが未整備だった からこそ、当たり前のように続いてしまった。
もちろん今の時代にも問題はあるけど、
「何が見えるようになったか」
「何をNGと認識するようになったか」
という変化は、人権意識や技術発展の賜物ですね。
おわり
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